メディアという化け物について
困難至極であることは百も承知で「メディアに頼らない選挙」を目指しています。今回の選挙についても、一部の人間からいろいろとアドバイスという名の煩わしい手前勝手な批評が寄せられています。こんなものに心揺れるぐらいなら最初から選挙などしない、と桜井は主張しているのですが…。
我が国の選挙というものは、選挙と呼んでいいのか分かりませんが、メディアに出演し目立ったもの勝ち、更にメディアで話題になったもの勝ちという代物です。馬鹿が馬鹿を選ぶ制度を『選挙』と呼んで、民主主義ごっこを楽しむ皆さんは、それが当たり前のことになっているのですが、他の「民主主義国家」から見れば異常なことです。
普段は政治を話題にしない、関心を持たない(と見せかけている)者たちが、ここぞとばかりに選挙時だけは批評家気取りで日本の未来を叫び、そして選挙が終わった途端に政治はメディアの中だけに戻り、市井の批評家はいつの間にか消えていく…こんなことを何度も何年も繰り返しているのが我が国です。
ここで注目しなければならないのが、メディアの存在です。我が国におけるメディアというものは化け物です。本来メディアというものは、欧米諸国において中世以降発達してきた存在であり、その歴史的背景があるからこそ、メディアは第四の権力として機能するのであり、またメディアの恐ろしさも国民各層が十分に理解しているのです。
ところが、我が国では「メディア」というものは、歴史的背景など無くある日突然現れた化け物であり、戦前は無学な国民を戦争に煽り立て、戦中は無敵皇軍を口から涎を垂らして叫び、戦後は平和を騙り「政府は我々が作ってきた」と嘯くに至っています。これを化け物と呼ばずして何と呼ぶのでしょうか。
そして、その化け物に頼りきる現在の選挙という、馬鹿が馬鹿を選ぶ制度を有難がっているのが、我が国国民なのです。知らず知らずに悪魔に魂を売るかの如く、メディアという存在が選挙と不可分の存在であることを当たり前のように受け入れている現状の打破を目指したのが、今回の日本第一党の戦いでした。
「勢いがない」「目立たたない」「埋没している」などなど、様々なアドバイスを頂いていますが、知能というものが少しでもあれば、なぜそうなっているのか?ということを考えることくらいは出来るでしょう。知能というものがあればですが。困難な戦いはこれからも続きます。それでも、日本を諦めずに、諦めきれずに、諦めの悪い運動を続けていく所存です。