国を治し、上医を目指そう
新年を迎えましたが、我が国を取り巻く状況は依然として厳しく、周辺諸国(支那、ロシア、南北朝鮮)の軍事的圧迫は今年もよりいっそう深刻になることが予想されます。しかし、この状況を作ったのは他の誰でもなく日本国民であり、その責が問われるのが民主主義と言われるものです。西洋の歴史の過程で生まれた民主主義は、何千年にもわたって田吾作として生きてきた日本人には残酷な政治思想であり、だからこそ民主主義は日本に不要、日本は古来からの「日本主義」に立ち返るべきであると説いてきました。
当初こそ過激に聞こえたかもしれない桜井の主張は、とくにここ十年で徐々に市井に広がり、ようやくのことながら認知されるに至っています。ただ、民主主義の悪夢を払しょくするにはあまりにも小さな勢力であり、まだまだ民衆に「日本主義」の在り方を説く必要がるのも事実です。一言で言えば、日本主義とは二元社会構造を内包した社会であり、もっと簡潔に言えば、政治的判断は「政り人」が行い、一般庶民は政治的判断を放棄して、自分の生活だけに集中することを指します。
もともと、日本の歴史を見れば古代の豪族政治、平安期の貴族政治そして鎌倉時代からの武家政治の台頭において、鎌倉幕府・室町台(幕府)・江戸幕府と続き、時々の政り人の名称は変わっていますが、そのいずれもが先述の「日本主義」の下で国の統治が行われてきました。西洋社会では、これらの時代に「絶対王政」が生まれ、庶民を搾取する政治がまん延し、搾取する理論体制として王権神授説が生み出されていったのです。神から王権が与えられたのだから、王とは即ち神の代理人である、というものです。
この西洋型の絶対王政を取り入れたのが、明治の御一新だったのです。本来の帝(天皇)は京の都に鎮座して、御簾の向こう側の存在でした。そして、日本の統治者に対して「征夷大将軍」などの官位を授け、我が国の支配を行うように命じたのです。要するに現在の「君臨すれども統治せず」を実行していたわけです。日本人は西洋から思想やら主義やらを取り入れるまでも無く、その長い国家統治において最善の統治形態をすでに生み出していたのが現実なのです。しかし、自分たちが生み出したものを評価しない日本の悪癖が出てしまいます。
明治以降の日本は、西洋の「民主主義」らしきものを受け入れ変容し、僅か70年で国家(大日本帝国)を潰しました。その後、米国からまた「民主主義」を取り入れ変容し、70年経った今、我が国はまたボロボロになり崩壊しつつあるのです。明治の御一新が過ちであることを桜井はこれまでも、生放送や講演会などで散々にわたって説いてきました。そして、少なからずの人たちの言の葉に「明治の御一新は間違い」「民主主義は日本にとって害悪でしかない」ということが乗るようになってきたのです。
選挙をやらせれば5割の人間しか投票に行かず、金権政治を批判しながら誰を選んでも金金金で腐敗していく我が国政治の実態。それも当たり前と言えば当たり前で、すぐに目の前の利益に流されていく田吾作の中から政治家を選んで、これが民主主義でございとやっている限りにおいて、腐敗は絶対に止まりませんし、そもそも選挙の意味すら分かっていない民衆しかいません。これでは、幾ら小手先の改革をしたところで日本を立て直すことなど不可能と言ってい良いでしょう。根本的に日本を治療する必要があるのです。
病を治すを下医、人を治すを中医、国を治すを上医と言います。一人でも多くの上医を作るべく、今年も自分に出来る限りのことをやっていく所存です。特に応援する会主催での講演会などを通じて各地での活動を予定しています。大都市部が中心になるとは思いますが、今年は体が動くうちに出来る限り地方にも飛びたいと願っています。各地での講演会などを通じて、桜井の考えを広げていければと考えています。もちろん、桜葉館も平行して行い、国治(国を治す)運動を更に展開していく所存です。読者諸氏のご支持ご支援を何卒よろしくお願いします。