仏像返せ! (対馬仏像盗難事件)

2023年2月1日、対馬の仏像が対馬の観音寺から盗み出され、韓国に持ち込まれて11年目にして同国の高等法院(日本の高等裁判所に相当)は仏像の所有権が日本にあることを認め、一審の「仏像は朝鮮で作られたものであり、日本に運ばれた経緯も当時の倭寇による略奪によるもの。よって仏像の所有権は、それを主張する浮石寺側にある」とする判決を覆しました。民心に寄った判決を出さないと猛批判にさらされる同国司法においては画期的な判決だ、と歓迎する日本側の声があるのは事実ですが、果たしてその通りなのでしょうか?また、対馬から盗み出された仏像はこのあとどうなるのでしょうか?

まず、事の経緯を簡単に書き連ねると、11年前に対馬で現地のお寺や神社を荒らしまわっていた窃盗団が韓国で逮捕されました。これだけでも十分罰当たりな行為なのですが、このときお寺からは仏像や経典、神社からは貴重な巻物が盗まれており、窃盗団は逃げる際に邪魔になるとの理由で、一部の経典、巻物を対馬山中に遺棄したとしており、当時の対馬は大騒ぎになりました。その後、寺や神社には防犯装置が付けられるなど、泥棒対策にも力が注がれましたが、現在対馬の仏寺で見られる仏像などはすべてレプリカであり、本物は寺の奥深くに眠っているとのことです。

さて、この窃盗団が韓国で逮捕された際に、いつもの朝鮮人によるトンデモ話が吹聴されました。曰く「自分たちが対馬から仏像や経典を盗んだのは、かつて倭寇に荒らされ略奪された朝鮮のそれを取り戻すためであり、民族的自尊心を取り戻すためであった」そうです。これが日本であるなら一笑に付すべきものでしょうが、こと日本相手なら何をしても良いと本気で考えている韓国では話が違ってきます。さらに、この話に出てきた倭寇の略奪というものに関連して、浮石寺という韓国側の仏寺がこの問題に関わってくることになり、盗難事件の高等法院での判決が下るのに11年もかかることになったのです。

浮石寺はこの仏像(観世音菩薩坐像)の所有権を主張して、韓国の裁判所に仏像の引き渡しを求める訴訟を起こしたのです。そして、先述の通り一審で浮石寺側の勝訴となり、今回の二審判決で一審が覆され敗訴となったのです。浮石寺側は直ちに上告したとのことで、最終判決(大法院判決)までにはさらに時間がかかるものと予想されます。そして、その大法院は前政権の文在寅によって判事が左翼勢力に塗り替えられたと言われており、恐らく現状のままでは浮石寺側逆転勝訴の判決が下りるのではないかと予想される事態になっているのです。

そもそも、この浮石寺というのは麗末鮮初(高麗末期から李朝初期)の朝鮮における廃仏毀釈で廃寺となっており、現在の浮石寺はその後、日本統治下以降に復活したと推定されています。つまり、同じ浮石寺という名前を使ってはいるが、廃寺となった浮石寺と現在の浮石寺には何の関係も無いということです。そして、それを確認するだけで11年の歳月をかける羽目になったのが今回の仏像所有権訴訟だったのです。ただし、浮石寺側が上告したためさらに時間がかかることは避けられないものとなっている。

仏像は現在、裁判所の証拠物件として通常所蔵されており、腐食が進んでいると言われています。専門的なケアが必要であるが、韓国の法律上ただの証拠物件として所蔵されているため、専門家も立ち入れないということであり、伝え聞くところでは、仏像の指先などが腐食の影響でもげているとのことです。まともに証拠物件さえ保管出来ない国で、仏像が無事である保証はないというのが現状なのです。ただし、これまで述べてきたように、仏像自体が高麗で作られ、それが対馬に渡ったことは間違いのない事実です。では、それがどうして我が国へ渡ってきたのでしょうか?

この点について、今回の韓国高等法院の判決文では、「当時の倭寇が度々侵攻してきており、その過程で朝鮮から略奪され日本に渡った状況がある」としている。歴史的な状況として、この無知蒙昧な推認を許容することは出来ません。当時の状況を考えるなら、まず麗末鮮初は国の交代期であり混乱期であったこと、さらに仏教が国教だった高麗から、儒教を国教とした李朝時代の信仰対象の変更(宗教混乱)をまったく考慮していない推認といえるのです。

状況から考えて、仏教の弾圧が行われていた高麗末期から李朝初期にかけて浮石寺の坊さんたちが、あえて仏像を仏教国である日本に流したと考えることの方が合理的ではないでしょうか? 実際、この時代に日本に流れた高麗時代の仏像は対馬の仏像だけではなく、日本全国にかなり広がっており、それらをすべて倭寇の仕業とするのは無理があると言わざるを得ません。第一、倭寇の侵攻と言っていますが、もともとの浮石寺があった位置関係(内陸部)からみて、海上倭寇が攻め入ることはほぼ不可能であったと断言できます。

対馬の仏像問題を見てきましたが、結末はまだ先になりそうです。ただ、愚かな反日国家・反日民族に万分の一でもまだ良心的なものが残っていたことについて、確認できたのが今回の判決だったのではないだろうか?というより、それくらいしか評価出来るところがないのですが。日本は次の大法院判決で敗訴した場合のことを考えておく必要があります。韓国憎しで言っているのではなく、こういった歴史的問題を国民感情でゆがめ続ける韓国という異常反日国家と勇気をもって断交することこそが、日本にとって何よりの僥倖になると筆者は強く確信するものです。