日本の国格

安倍晋三の国葬が取沙汰されています。桜井は安倍が撃たれた時点から、「それでも安倍の大罪は消えない」として、選挙中も安倍晋三を真正面から批判してきました。武漢肺炎を日本に呼び込み、その結果、四万二千人以上(9月9日現在)の死者を出して戦後最大の人災を引き起こしながら、自分が死んだときだけ冥福を祈れ、従一位を追贈しろ、国葬しろなどと何をふざけたことを言っているのか?

がしかし、今回はそのことは別にして、違う観点から安倍晋三の国葬を執り行うべきか?ということを考えてみたいと思います。むろん、これは偶然ですが、英国でエリザベス女王が崩御したことで情勢が変わってきたのです。エリザベス女王は即位70年に及ぶ治世の中で、大きな影響力を世界に示してきました。彼女の崩御は残念ではありますが、それでも確実な未来であったことは言うまでもありません。

そして、英国はトラス新首相が就任したばかりであり、その最初の仕事が女王の国葬になります。さらに続いて、新国王に就任したチャールズ三世の戴冠式も(おそらく)来年には挙行しなければならないでしょう。このエリザベス女王の国葬について、同盟国たる米国は早くもバイデン大統領が出席の意向を示しているとか。もちろん、その他の国も国家元首クラスがずらりと勢ぞろいして国葬に参列するでしょう。

確かに国葬というものは「弔問外交」の一面を負っていることは事実でしょう。だからこそ、この女王の国葬には多くの国家元首が参列し、隣国と交友を図るのです。そして、我が国の安倍晋三の国葬を振り返れば…重ねて言いますが、これは偶然です。偶然ではありますが、エリザベス女王の国葬と比較されるのは当然であり、余りにもみすぼらしい有様では世界に示しが付かないのです。

しかし、現在入ってきている情報では、安倍晋三の国葬に参列を希望していた奇特な外国の首脳陣は、軒並みにキャンセルとなり、大使館クラスを国葬に派遣するとのことです。米国は日米同盟を抱えているため、ハリス副大統領の派遣は変えない模様ですが、それでも気持ちは英国に行っていることはバイデン大統領が崩御したその日に国葬に参列することを発表したことでもわかります。

これは、安倍晋三の死が急なものであったこと。そして、エリザベス女王の崩御については、すでに何年も前から関係各所でリハーサルなどが行われており、崩御後の手順が歴代英国政権で秘密裏に受け継がれてきたことなどが挙げられます。とまれ、理由はどうあれ、エリザベス女王の国葬と比べられる安倍晋三の国葬は、結果的に見れば、日本の恥を世界に晒すだけであり、絶対に止めるべきではないでしょうか。

日本が英国に劣っているとは思いませんが、今の世界においてどちらが世界に対して重きを成し、また国葬の時期が重なっている今、どちらを重視するのかは明らかだと言って過言ではないでしょう。日本における首相は国家元首ではないものの、国家元首に準じる存在です。その存在が軽んじられることはあってはならないことであり、偶然とは言えエリザベス女王の国葬時期と重なってしまった不幸に忸怩たる思いです。

国民の過半数が反対している安倍の国葬を強行するのであれば、日本はそのみすぼらしい姿を世界に晒すだけであり、国格を失うことになりかねません。自民党をはじめとする政治家、またその支持者たちは虚心坦懐に現状を見つめ、今回の国葬について、それが招く結果をよくよく熟考し、日本のためにどうするのが一番良いのかを真剣に考えて欲しいと切に願います。