温故知新

「故きを温(たず)ねて新しきを知る」 いま混迷を深める我が国の情勢において、この言葉の意味をもう一度きちんと考えるときに来ているのではないでしょうか? 150年の昔まで我が国は、二重社会構造を内包する社会を構成してきました。それは、政人(まつりびと)と一般庶民の二重社会構造であり、さらにその政人は天皇を頂点とする朝廷と武家の棟梁を頂点とする将軍家に分かれ、さらにその将軍家も将軍に徹底的に忠誠を誓う将軍派と朝廷に寄り添う朝廷派に分かれ…という具合に入れ子状態に二重構造が多層的に展開されてきたのが我が国の歴史でした。

その歴史をぶち壊したのが明治の御一新です。それまで数千年にわたって我が国社会を営んできた古の叡智を捨て去り、欧米型の民主主義が我が国を覆ったのです。その結果、薩摩長州が中心となって作り上げた「大日本帝国」という、名前だけは御大層な国家は僅か八十年にも満たない時間で壊滅し、その後、我が国は米国の属国として「日本国」を誕生させるに至っています。桜井は一連の我が国の政策・社会構造の転換を図ってきた勢力を「田吾作」と酷評しており、それに怒る人もいるかと思いますが、 実際その通りなのだから始末に負えないのです。

昭和二十年の敗戦後、我が国は軍事的側面を捨て、「経済」に国家としての活路を見出そうとしてきたのです。というより、もはやこの国に残ったのは経済しか無かったと言うべきでしょうか。昭和が終わりを告げ新たに平成の世が始まるあたりまで、約半世紀にわたって日本人は一丸となって経済的繁栄を求めてきたのです。そして、その夢は「バブル絶頂」という言葉で実現し、日本史上例をみないほどの経済的繁栄を成し遂げ、世界一の経済国家(※)に成り上がったのです。しかし、成り上がれば、当然のように成り下がることもあるという過酷な現実を当時の日本人は忘れていました。

※ 所説ありますが、東京証券取引所が一時的に米国NY証券取引所を超え世界最大の巨大マーケットを形成したのは事実であり、その頃の日本は世界一の経済国家と言っても過言ではなかったと思います。

このバブル絶頂から三十年、現在の我が国は「世界一」の面影などありません。経済学の初歩、禁じ手である「不況の最中の増税」が続き国民が疲弊する中で、政府は外国人を「日本の宝」と称して手厚く保護する有様です。これこそ、危急存亡の秋(とき)と言えるでしょう。しかし、ここで先述の田吾作問題が出てくるのです。どんなに政治的・経済的危機を訴えても、自分で物事を考えることが出来ない田吾作にとっては「おら知らね」の無責任ぶりなのです。無論、この二十年の活動の中で少しずつ世論が変わってきたのは事実ですが、とてもこの変化に追いつけるものではなく…。

我が国の構造的変化は、国民自身の現状把握から始まります。自民党(その他の政党・政治家も同じですが)しかないと思い込む考えを切り替えることが肝要です。我が国の置かれた状況、すでに個々の経済では韓国に抜かれ、先日はアジア第一位の国家の座も台湾に奪われており、都市間競争でもフィリピン・ベトナム・タイの大都市部に我が国の東京・札幌・大阪・名古屋・福岡といった大都市部を除いて軒並み負けている状況です。この厳しい現実を国民に伝えていくこと、そして我が国を古の状態に戻す道筋をつけることが桜井に残された使命だと考えています。

道は未だ厳しく、先が見通せない状況ですが、それでも我が国のため、国民のために歯を食いしばって歩いてゆくのみです。