ねがい

私事ですが、現在病床にあります。といっても、そろそろ退院を考える時期に入ってきており、入院も最終版かなとも思える状況です。退院したらすぐに元通りというわけではありませんが、何はともあれまずは病院からの退院が急がれます。肺水腫と思われる症状で入院治療が決定し、当日、手続きを終えて入室後3時間で急性心不全となり、HCU(高度治療室)に運ばれ一週間、それから一般病棟に戻って心臓カテーテルの手術ほか幾つかの手術を行い、十日ほどが経ちました。

幸いにして(?)閻魔に嫌われているらしい桜井は、何とか現世に踏みとどまり、今もこうしてカチャカチャとブログ記事を書き記しています。リハビリの道は遥かに遠いものですが、まずは一歩を踏み始めなければ何事も始まらないと信じて頑張ります。まだ少し早いとは思いますが、今回の入院で皆様にご心配をおかけしましたこと深くお詫び申し上げるとともに、一日も早く現場に復帰出来るよう努力する所存です。また、入院中に桜井に温かいコメントを寄せてくれたパヨクの皆さんには格別に御礼申し上げます。

日本の崩壊を目指す国家破壊主義のパヨラーたちの存在が、何としても一人残らず地獄に叩き込む覚悟を桜井に持たせてくれたものだと信じます。まだ病床ではありますが、日々刻々と移り変わるニュースには目を通しています。増税と汚職以外に考える余地のない気狂い政党、売国左党の自民党や公明党、物事をすべて腐らせる利権塗れの維新、日本人よりも外国人優先の共産党と不愉快な新選組たち…要するに我が国に存在する既存政党すべてが終わっていることを実感します。

我が国は内憂外患と言える状況にあります。内憂は先述の通りであり、外患は支那中共の圧迫が日を追うごとに増大している状況、そして我が国の政治家(特に売国左党自民党)は隙あらば増税し国民を疲弊させ、外国に大盤振る舞いのバラマキを繰り返すばかりという、本当の意味での国家弱体化の見本のような政策がまかり通っているのです。この終末状況といえる日本をどうすれば救うことができるか?という難題を入院中の空いた時間によく考えるようになりました。

そして、桜井が出した結論は「無理」です。西洋の民主主義とやらを我が国が信奉し続ける限り、どうあがいても日本に逆転の目は無く、ただ崩れ去るのみでしょう。すでにその兆候は出ていますが、我が国はその国民によって崩壊するしかないのが現実だと思います。たとえどんなに暴政を執権政党が働いても、唯々諾々と黙って従う国民、日頃から政治にぶつくさ文句をいうくせにいざ実行の段階になると、様々な言い訳を必死で考えてピクリとも動かない不動の国民、そしてもはや「日本人」とは言えない外国系の国民…

我が国は古代より為政者(政り人)が存在し、例えば古代天皇(大王)であったり、豪族であったり、貴族、武家(源、足利、徳川)など名称の変更はありますが、基本的な「政り人」という存在は変わりません。そのうえで、彼らを支える一般庶民(田吾作)が存在したのです。田吾作たちは政治についてはすべてを政り人に任せ、自分たちはその日その日を暮らしていける糧を得ることに集中しました。そこで、「おらたちの政治的権利が!」などとは絶対に言わないのです。

もちろん、田吾作が政り人に虐げられたこともあったでしょう。しかし我が国の歴史を俯瞰してみれば、他国との比較になりますが、概ね古代~近代におけるまで良好な政治体制であったと判断できます。というより、我が国では数千年にわたってこの政り人と田吾作の「二元構造を内包する社会」を実現してきたのです。もっと言えば、大和民族にとって二元構造の社会がもっとも理に叶った政治体制だったともいえるのです。それが、明治の御一新によってすべてが変わってしまいました。

それまで政り人だった層は「華族」に押しやられ、政治的権力が田吾作に下りてきたのです。この田吾作たちの文化をみれば、いかに深いものを築き得たかが分かると思いますが、それまで政治的リソースを振り分けてこなかった田吾作たちは、日々の糧を得るという生活環境にリソースを割き、余ったものを数学(当時の農民が高等和算で円周率や微積分などを計算していたのは有名)や日々の文化物などに注ぎ、他に類を見ない田吾作文化を花咲かせ、世界に衝撃を与えたのです。

であったにもかかわらず150年前に我が国では社会の大転換が起き、下級武士の政権「明治政府」が誕生し、大日本帝国などという名前だけは御大層な国家が誕生しました。しかし、この御大層な国家は僅か70年で崩壊しました。大東亜戦争後、勝利した米軍の支配下に日本が置かれる中で、1952年に現在の「日本国」の独立が世界的に認められた(サンフランシスコ講和条約)というわけです。このとき、日本は米国から民主主義を押し付けられたと言われていますが、もとを糺せば150年前の御一新がその原因であることは自明でしょう。

話を現代に戻しますが、今の日本の現状をどうすれば救うことが出来るのか?という問いかけに桜井が「無理」と判断した理由が分かったかと思います。そもそも、日本人が長い間、それこそ数千年にわたって築き上げた二元構造を内包する社会体制、をぶち壊して民衆に責任を問いかける「民主主義」とやらを押し付けたところで、その民衆が田吾作根性丸出しで政治的責任など欠片も感じていないのです。民衆が民主主義の意義を理解出来ていないのに、どうやって民主主義を支えるのでしょうか?

民主主義とは西洋で生まれ、西洋で育った思想です。我々には我々の歴史があります。その中で育んできたのが、「二元構造を内包する社会体制」であり、この体制がもっとも日本人にあった体制であると断言できるのです。私たち日本人は、常に西洋のものを追いかける悪癖があります。翻って自分たちの文化や体制といったものは、常に西洋と比べて「劣っている」「恥ずかしい」と考えるのです。しかし、今の西洋をみてどう思うでしょうか?移民によって次々内部崩壊を起こし、イタリアに続きドイツまでもが流入し続ける移民にギブアップを宣言しています。

社会崩壊を招いている西洋のやり方を、そっくりそのまま真似しているのが現在の日本なのです。治安だけではなく経済も崩壊している現状は看過しえないものです。そもそも、自国を捨てて他国に逃げてきた人間に、他国のために命がけで働く「意思」などあるはずがなく、彼らはただのお荷物と化しています。だからこそ、ムスリム難民に関してイスラム諸国は一致団結して入国を断固拒否し続けているのです。そして、そのムスリム難民をキリスト文化圏の西洋諸国が拾い上げ、わざわざ社会騒乱のもとを作っているのが現状なのです。

「我が国には我が国のやり方がある!」この強いメッセージを諸外国に発信し、民主主義を捨てる覚悟を示せる政治家はいません。西洋の物まねを続け、西洋が失敗し崩壊途上にある道をただ辿っている道化師たちが、我が国にはいるだけなのです。病床にある今、桜井に出来ることは願うことだけです。どうかこの日本に誰よりも強い意志を持った指導者が現れますように、そして、その強い意志で日本に未来をもたらしてくれますように。